死ねない老人 杉浦敏之著
冒頭に書いてある事実
現在100歳を超える老人の数は・・・
約6万5000人
日本で現在最年長は116歳の女性(2017年5月現在)、私の勤務している島の1つ喜界島のおばあちゃまです。
もし、自分が100歳まで生きるとしたら、「老後」という時間を、35年も生きなければなりません。
『老後は気ままにのんびり過ごしたい』という考えがあるのならば、のんびり35年もの長い時間を過ごさなければなりません。
35年間読書をして過ごすわけにはいけませんので、何をすべきか、今からでも考えておかなければならない気がします。
この本は、死にたい老人は早く死んでほしいという本ではありません。
『死ねない』という言葉が生まれている現状ではなく、『死にたい』と思う老人の現状を今考えなければならない時代ではないのか?という本なのです。
日本人に欠けている「死生観」というのも見えてきます。
では、この本で述べられたメッセージと共に考えてゆきましょう。
「病院死」の増加が死を遠いものにした
(厚生労働省の資料を引用)
私たちのおじいちゃん・おばあちゃん世代は自宅でなくなるのが当たり前でした。現在は在宅死と病院死がきれいに逆転しています。
今の常識は死ぬ場所は自宅ではなく、病院なのです。
では、この統計のもとに想像を働かせてみましょう。
医療職以外の方たちへ・・・
病気になると、皆さん「入院」します。ここでは敢えて、おじいちゃん・おばあちゃんが「老衰」で食べれなくなり入院したとしましょう。入院していると、ご家族は本人が苦しむ様子は面会の時だけです。額の汗を拭くのはほとんど看護師の仕事です。
人が亡くなるという生と死に向き合うのはお医者さんだったり看護師・リハビリスタッフになります。
死と向き合った患者さんは、いろんなお話しをしてくださります。昔の楽しかった話、つらかった話、情熱的だった若い頃の話。本当に感動的お話しばかりです。
でも、思うんです。この『お話』、本当は私(医療者)ではなく、お孫さんやひ孫さんにしてほしい。この『お話』はご本人の人生の証みたいなお話しなのです。
そして、患者さんは病院で亡くなっていきます。
病院死は決して悪いことではありません。病院にいれば「安心」です。
でも、本当に大切なお話しはご家族が手を取り合いながら伝えていただきたい。そう願っています。
死因の第5位を知っていますか?
医師の死亡診断書を元に作成される死因。
私が医師になってすぐの頃には、「老衰」は病名ではないので、死亡診断書に「老衰」とは書くな。と言う指導医がほとんどでした。
現在、「老衰」と死亡診断書に書かれる方が8万5千人/年で増加しています。
「老衰」としか言えない死が増えているのが事実であり、かつての指導医もおそらく「老衰」と診断書に書いていない方はいないのではないかと思われます。
では、病院は「老衰」を治療する場所なのでしょうか?
医療者だけではなく、日本全体が「死」について、医療についてもう一度考えなければならない時代に突入しているのです。
医師にとって「死が敗北」なら、確実に「全敗」
このお話しは、前回の小説「最後の医者は桜を見上げて君を想う」の大きなテーマでした。
私は、「死」を勝利とするのは難しいかもしれませんが、「希望の光」「感動」になると信じています。「死」は悲しい事実ではありますが、「死」がもたらす心への揺さぶりは何物にも代えがたい「感動」なのです。残される方々の「生」は「死」へ向かってどのように生きていけばいいのかを導いてくれます。
日々死を目撃する医療者こそ死を敗北としない努力が必要なのです。
日本の医学部では「死」を学ぶ時間がない
先ほども示しましたが、日本の死因の第5位は「老衰」です。
しかし、「老衰」を医学部で学ぶことはありません。
医学部で勉強する若者が、自分が死ぬことを想像するのは容易ではありません。
80%が病院死という現状では、医学部生のほとんどが死を見届けた経験はないのです。
死とはなにか、見たことも聞いたこともありません。
医学部生は病気について膨大な量を勉強しなければなりません。
しかし、病態の知識は情報がこれほど氾濫した世の中で、詰め込み式の授業こそ省くことができるのではないでしょうか。
教科書をなぞり読みし、医学生は寝てしまっている授業、まだまだ多いと思います。
で病院で働くならば、「老衰」による死は日常的に経験するのです。
死を敗北にする勉強ではなく、「死を感動へ変える授業」こそ授業、これは教科書だけで語るのは難しく、生徒が考えながら学んでいく授業が必要です。
死生観を学ぶ授業、フィジカルクラブでも取り入れています!
多死社会を迎える今、医師を含む国民全員に「死の教育」を
この書籍が最も伝えたいメッセージとおもいました。
この本に書かれているお話しが、もっともっと議論される世の中になるべきです!
「死を学ばずして、生学ぶべからず」です。