十歳のきみへー九十五歳のわたしから

明日をつくる十歳のきみへー一〇三歳のきみへ

95歳・103歳の日野原重明先生から10歳の子供達へあてたお手紙。

100年以上を生き、「いのちの授業」を全国で行ってこられた先生だからこそ伝わるメッセージ集です。

 

 

”からっぽのうつわのなかに、いのちを注ぐこと。それが、生きるということです。”

ただ時間を過ごすいのち、何かに夢中になって過ごすいのちは同じ時間のでも意味が全く違う。人は必ず死ぬ。当たり前の事が医療の現場にいると「死」=よくないこと、不幸なこと、にとらえられがちになる。でも、死に向かって時間が流れているのであって、必ず死にたどり着く。

いのちとは死に向かう過程を過ごすこと、予定されていること。

ならば、いのちを過ごすのではなく、注ぐ人生でいたい。

"ほかの人のためにきみはどれだけの時間をつかっていますか。”

ちょっと油断すると、地位・お金・名誉のために時間を使ってしまいがちになる。

プロ野球選手がある試合でホームランを打ったあとのインタビューで、

「100本達成しました」と、「今日は病気の友人の為にホームランを打った」というコメントは全く意味合いが違ってくる。

医療機関で勤務するならば、専門医資格の取得に喜ぶのと、患者さんの回復を喜ぶのは同じではない。そのために、専門医資格を取得した者は取得の喜びではなく、患者さんへの還元を願わなければならない。