雨上がりに咲く向日葵のようにー「余命半年」宣言の先を生きるということ 山下弘子著
2018年25歳の若さで亡くなられた山下弘子さんが21歳の時に書かれた書籍です。
出版された時には癌が全身に転移し、あとがきにはご自身の言葉で、「抜本的な治療法がない」と明言されています。死を意識した山下さんの言葉はとても重く、生きることの意味・幸せの意味を教えてくれます。
若くした亡くなられた山下さんの生き方は医療人として、患者との向き合い方を考えるきっかけをくれるかもしれません。
私はがんになったことで、よかったこともありました。「ひとはいつ死ぬかわからない」、それを学べたことが、以降の私の人生をとても豊かなものにしてくれたのです。
医師としてたくさんの死と向き合うと、年齢を問わず、世の中のほとんどの人が「死」を意識することはないのだなぁと実感することがあります。例えば、90歳になって死ねれば大往生だなぁと、なんとなく自分のことを思うかもしれませんが、現場では90歳でも100歳でもとくに肉親の死は受け入れられず、助けられる見込みの少ない医療行為を迫られることがあります。そして、言葉だけの延命治療をどうするか、という事務的な内容が議論されることも多いのです。生きるとは、やはり死を意識することではないでしょうか。
山下さんは未成年の19歳でちょっとお腹が痛いなぁ、と町医者に行ったら、いきなり余命半年と告げられます。余命半年と告げられ、そこから人生が豊かになる。自分が同じ立場になった時にここまでこのような気持ちが持てるか。定かではありませんが、逆に、山下さんは幸せを追求するという選択が生きる望みだったのではないか、と思うのです。
「幸せとは何か」それは、世の中やまわりの誰かが決めるのではなく、その人自身が決めることです。
そして、ことの言葉が出てきます。「19歳で末期癌と宣告されること」これは客観的に考えれば誰がどう考えても不幸ですよね。でも、自分がその立場になった時に、不幸のレッテルを貼られてみられるのは、もっと不幸ではないでしょうか。
医療現場でのたとえ話を考えみます。「死は辛いことです」「死は不幸です」といわゆる一般的にとらえたとします。それはそうですね、患者さんが亡くなって喜ぶ医師はいません。
でも本当に必ずしもそう言えるでしょうか。人は必ず死にます。ということは、つまり人は必ず不幸になります。ということになっていいと思いますか。平穏な死を迎え、静かに旅立つことは本当に不幸でしょうか。私はそうとは思えません。死亡確認するのも我々医師の大事な仕事ですが、そこで、悲しい顔をしなければならないと誰が決めたのでしょうか。もし、患者本人、家族が望む平穏な死を迎えられたとき、死は悲しいことかもしれませんが、実は幸せなことかもしれません。そこに現れた医師がもし、「おつらいですね」と言ってしまえば、幸せな死が辛い死になってしまうかもしれません。
そのように考えると、「死」という言葉も人によっては幸せなことになりうると言うことを医療人はもっと感じておくべきと思います。
私の知り合いの開業医の先生に1人は、幸せな在宅死を迎えられた患者さんと死の直後に本人を囲んで笑顔で記念写真を撮ってらっしゃいます。
死を不幸にするのも、幸せにするのも人それぞれ、私は笑顔で送ってもらいたい。ただそう思います。
主治医のことは信頼していますが、主治医の患者は私ひとりだけではありませんし、主治医は全能の神様でもありません。信頼を置くことは、主治医にすべて頼りきりになることではありません。自分で生きるための努力をしないでいいことにもなりません。
この言葉は、病気と必死に闘う1人の患者の言葉に違いありません。遠隔転移をしてしまった癌に対する治療法は現在非常に限られています。では、選択肢がなくなった患者に対して、もう手立てがありません、と言うのが正しい医療ではありません。実際山下さんは余命半年と宣告され、すぐに標準治療がないと宣告され、6年間を標準治療外のいろんな治療を受けながら病気と闘いつづけました。
この言葉は、患者が持つべき考えかもしれませんが、ここまで強い患者さんも多くはないとおもいます。しかし、医療者はこの言葉引き出すサポートをすべきと思います。選択肢を医療者が制限することなく、いろんな選択肢を示すこと、そして自身の力で選択する手助けをすることが大事なのではないでしょうか。
私の場合、がんでいつまでの命かはわかりません。ただ、誰でも、次の瞬間、事故や天災に巻き込まれ、命を落とす可能性はありますので、そこまで変わらないと思います。そうなったとき、今思っていることを伝えるのは、今しかありません。
この言葉を読み、やはり実行することの大切さをあらためて感じました。山下さんは続けます。
言い間違って恥ずかしい思いをする。そんな失敗をするかもしれまでんが、伝えられない大失敗だけは避けたいのです。
目の前の他者に感謝を伝えること、愛を伝えること、は惜しむ必要はないと思います。日本人は思いを伝えるのが下手とよく言われますが。そうこうしている間に、死は一日一日と迫ってきています。
私は”今”死んでも幸せ。だからこそ死ねない
これが最大の名言ですね。死ぬほど、今が幸せ、将来の幸せを祈るより、今の幸せを感じましょう!