2.19-23.新潟大学6回生野崎さん

2月19~23日の5日間、奄美大島と喜界島にて実習をさせて頂きました。

  私は新潟県の佐渡島という離島にて生まれ育ちました。気候こそ違えど人口や大きさは奄美大島と似通っており、確かな伝統と豊かな自然に囲まれた素敵な島です。私は自分の故郷である佐渡を愛しており、将来的にはジェネラリストとして島に戻って医療に携わることを目標にしています。しかし、母校の大学ではジェネラリストや地域医療に従事する医師はむしろ少数派で、専門医を取得し大病院に勤務することや研究に従事することが王道であるという価値観が根強く残っており、自分の目標について否定的な意見を聞くことが多々ありました。そのせいか医師免許取得を前にして自分の目標が大きく揺らいでいることに気がつき、いつしか将来に対する漠然とした不安を抱くようになってしまいました。そんな時にお会いしたのが名瀬徳州会病院の平島先生でした。皆さんご存じの通り、平島先生は奄美での医療に熱いパッションを持っており、そのために日夜奮闘しておられます。この先生の元でどのような医療が展開されているのかこの目で見てみたい、そして自分の今後に繋がる“何か”を見つけたい…。そう思って学生最後の春休み、申し込みをした次第です。

喜界島で経験した、CPA

 1日目と2日目は喜界島の喜界病院にて実習をさせて頂きました。喜界島は奄美大島から飛行機で15分程度の場所に位置しているサンゴ礁から出来た離島であり、人口は約7000人です。初日に事務の方に島の中を一通り案内していただきましたが、奄美大島以上に手付かずの自然の残る風光明媚な美しい島だなぁと感じました。喜界島での実習で一番印象に残ったのは、救急外来にて経験したCPA の症例です。CPA自体はこれまでも何例か見たことがあったのですが、今回がこれまでと異なっていたのはご家族が悲しむ姿を目の当たりにしたということ。詳しくは記載しませんが不慮の事故であったため、死亡宣告を聞いたご家族はその場で泣き崩れ、互いに抱き合い悲しみに暮れておられました。つい先程までは元気だった家族との突然の別れですので、そうなるのも無理はありません。私は順調に行けば来年度から医師になるわけですが、今後はこの様に患者さんの死、そしてご家族の悲しみを何度も経験することになります。その事実と責任の重さを身をもって体感した1日でした。

このように、ここでは語り尽くせぬ程多くの経験をさせて頂いた訳ですが、1週間を通して一番印象に残っているのは3日目の夜、平島先生と共にフジクラスティックを作成した時ことです。フィジクラスティックというのはJVPを計測する為に作られた、フィジカルクラブ秘伝のツールですが、完全に平島先生お手製 なのには驚きました(笑)このフィジカルスティック作成のお手伝いをしつつ、先生と色んなお話をし、そしてアドバイスをして頂きました。先生の生い立ちであったり、何故奄美の医療に対してここまで情熱を燃やしているのか、批判の受け止め方、そして結婚に関するアドバイスなどなど…。もはや人生相談でした(笑)それこそここには書ききれないような、熱い一夜となりました。

迷うことに迷わない!

学生最後の春休みを1週間使った奄美実習でしたが、思い切って申し込みをして良かったと心の底から感じています。医療を提供する側である医療者と、医療を提供される側である患者さんの双方からお話を伺う事ができ、“奄美での医療”を存分に経験することができました。こういった体験は大学で漫然と病院実習を行なっていてもなかなかできるものではないと思うので、少しでも興味のある方は是非一度奄美に来てみることをオススメします。また、私自身の話に戻りますが、冒頭で“自分の目標に迷いが生じている”ということを書いたと思います。正直な話をすると、実習後である今も迷いに迷っています。ただ、変わったのは“迷う事に迷わなくなった”ということ。目標に対する自分の視点なんてものは経験や立場で目まぐるしく移り変わって行くものなので、迷って当たり前です。そんな中でも、平島先生の様に自分が楽しく、熱意を持って取り組める事を見つけていければと思っています。とにかく、その先に何が見えてくるのかはわかりませんが、まずは初期研修の二年間をがむしゃらに頑張ってみ体と思います。

 最後になりますが、快く実習を受け入れてくださった平島先生を始め、今回の実習に関わって頂いた奄美の皆様、本当に本当にありがとうございました!