92歳で詩を始め、詩集『くじけないで』がベストセラーとなり、101歳で亡くなられた柴田トヨさんの生涯を描いた実話を元にした映画。
戦前、戦争時、戦後、そして平成まで生き抜いたトヨさんの一生はまさに力強く、生きる勇気を与えてくれます。
この映画の中で描かれていたクリニックの医師像は今必要とされる医師像にふさわしいと感じました。
今回はこのサイドストーリーに注目してみます。
患者・看護師・ヘルパー・事務員に愛される医師
上地雄輔さん分する北条医師は若手で、大学病院で勤務しているが診療所勤務も兼任している。大学での医療に専念するよう先輩からも勧められるが、診療所診療に医師としてのやりがいを感じている。
問診する内容は患者さんの生活のことが中心にあり、患者さんの空気・時間に寄り添う。
すると・・・患者だけではなく、患者に付きそうヘルパー、看護師、事務員までその空気に巻き込まれてゆく。
患者さんが中心にいて、それを取り囲む医療人、主役は患者。
理想とするアングルだろう。
診療所だからこそ最高のプロ意識をもって
診療所と言えども自分の診療に妥協をしない。そのようなプロ意識の見えるシーン。
部屋の電気を消し、直像鏡の眼底鏡で患者の眼底を観察する。過去の映画でこれほどまでに理想的な眼底鏡の使い方をした映画は見たことがない。
眼底鏡検査は患者に触れながら診察するものであり、プロ意識がないと診れる診察ではない。
自宅で看取る事だけが正義ではない!
深夜に呼ばれ往診する北条医師。
自分自身、とくにこの患者さんのように在宅酸素を行う患者の在宅患者の急変は心が揺さぶられる。
特に本人・家族が在宅での医療のみを望み、病院には行きたくないという希望で始めたものの、急変で呼ばれ診療する際に、検査のできない状況で病気の診断もままならないまま、すがるような思いで患者の家族から見つめられたとき。。。
安易に「病院に連れて行きましょう」と言えるだろうか・・・
北条医師は「自宅で看取れてよかったですね」という気持ちではなく、
「病院なら助けられたのに」という思いに駆られる。
我々も同じようなジレンマに陥ることは少なくない。
命は本人のもの?家族のもの?医師のもの?