ひび割れた日常ー人類学・文学・美学から考える 奥野克巳・吉村萬壱・伊藤亜紗著

何が面白いって、筆者3人のバックグラウンドにこの本を手に取ってみたいと思った。

20歳でメキシコの先住民の村で滞在、ボルネア島のシャーマニズム・呪術の研究などをされた人類学者奥野克之氏が発起人となり、小説家の吉村萬壱氏、東京工業大学でリベラルアーツ・現代アートに携わる伊藤亜紗氏の3名が5,6ページずつリレー形式でエッセイを展開されています。

医療者という立場でななかなか感じることのできない、人類学・文学・美学の立場から、コロナ禍をみているのか、しかも3人が順番に鼎談しているような次々変わる展開にワクワクして一気に読んでしまいました。

ここで挙がったいくつかの考え方を記しておきたいと思います。

コロナウイルスは「生命と自然の問題」を考えるきっかけをもたらした

・コロナウイルスは森から追いやられた被害者であり環境破壊が生んだ

・植物の時間と人間の時間

 植物は未来の予定を立てて行動できない⇒足し算の時間

 人間は未来の予定を立てて行動しようとする⇒(未来を考えた上での)引き算の時間

 ⇒コロナ禍となり、未来が不透明になった

 ⇒引き算ができなくなり、植物と出会えた

 自然とは、合理的に考えることの出来ない、無目的な時間の流れ

・これは病や障害とと共に生きることと繋がっている

・足し算の時間こそが不安や落ち着きなさを生む「ひび割れ」

 

オールジャパンの息苦しさ

・私が見ている光景は私にしか見えない

・人間は皮膚の色、文化、性、障害、さまざまなバックグラウンドのなかでそれぞれ違う景色を生きている

・そこでオールジャパンの一体感を鼓舞されると興醒めする

 

オンラインコミュニケーションによる、「いる」の喪失

・「障害」の概念の起源は、産業革命時代。画一化された労働市場に参画できないことが起源。

・相手が自分より優れているか、それとも劣っているか、その人の見た目によって無意識に判断する。

⇒オンラインコミュニケーション、例えば分身ロボットOrihime、アバターによるコミュニケーションはこれらの関係をフラットにする

・一方で、「いる」の喪失を生む

・「いる」ことによって沈黙できていたが、オンラインでは間(沈黙)が耐えられないものに

・「変身」すなわち自分と異なるものの世界の見え方をありありと実感すること。ができなくなる。

・「ニュー・ノーマル」は「ニュー・ボディ」にもとづくべき

・現代の技術革新は人間と自然の分断を進めている⇒いるの喪失

 

Stay Homeがもたらしたもの

・家族の時間

・家族とは婚姻によって結びついた夫婦と、子供・孫を中心とする人間の集団であり、主に垂直的な関係が前提

・一方、異なる腫との関係(ペット、動物性愛者)は水平的関係

そして、コロナウイルスとの水平的な関係はどのように築けるのか

・人間と人間の対等性をどのように築けるか⇒独占欲は生まれながらに持つもの。社会は競争の仕組みによって支えられている。欲が制御されないため、人間と人間はそもそも対等ではない。

 

・動物は生きる目的を必要としない。ところが、人間は一種の動物でありながら、目的なしには生きられない

 

類似性という希望の光

・類似性とは人間が得意とする「抽象化」の基本

・思いがけない類似性は笑いの種でもある

・全ての楽しくないこと、困難は差異に感づき、世界を切り分け、分断することに由来する

・アニミズムに繋がる:自分とは見かけはまるで異なるが、内面的に通じ合っていることを直感する思考様式。人とクマ、人と虫、人間とは異なるが、人間味溢れる内面性を持っているとする考え

 

自然との共生とは

・自然とは殺し合うこと、そこに意味は存在しない

・自然との共生とは、感性の開放、異種を利用し、利用されること

・生きたいという煩悩をもち、コロナに注意を払いつつ、もし感染してしまえば「どうしようもない」と思える諦観を持つこと