医学の歴史 歩みを担った人たち、そして体制 多田羅浩三著
大阪大学公衆衛生学の名誉教授で、日本公衆衛生協会理事長/会長をされた、公衆衛生学のスペシャリストの先生による、「医学の歴史」。医学の歴史の本をいくつか読みましたが、公衆衛生学を切り口に書かれた本は初めてでした。
日本の医学はドイツから?でも今の医学はアメリカ?
アメリカの医学はどこから?
今の日本の国民皆保険制度はどのように成立したのか?
などの疑問がすーっと入ってきます。
名言のオンパレードですので、今回は印象深かったこの本の言葉を拾っていこうと思います。
フィジシャンとアポカセリー
この1冊を読んで、一番印象的で、今の医学に最も影響を与えた歴史的背景ではないかと感じました。
アポカセリーとは何か?皆さんはご存じだろうか。
中世の英国ヘンリー8世時代、医師はフィジシャンと呼ばれるが、オックスフォード大学やケンブリッジ大学を卒業した人のことを指した。
医師という職業は崇高な職業とされ、フィジシャンは主に貴族を診察した。
一見納得できる内容ですが、そうです、国民のほとんどは貴族ではありません。この当時国民のほとんどのは医師にかかることができず、アポカセリーが診ていたのです。アポカセリーと今で言うと薬剤師ということになり、医師とは違いますが、病人の話を聞き、薬を処方していたといういう意味では医師そのものです。しかし、医師ではありませんので、診察代ももらえず、最初に医療を行う人でした。その後アポカセリーがどのようなカタチへと変わっていくのかは本を是非読んでほしいのですが、、、
日本と英国の決定的な違いは、家庭医の差ですが、この背景にアポカセリーという歴史があるのです。この歴史背景を踏まえると興味深いです。
ちなみに、明治時代の東大・京大の留学生はドイツ医学を学んでいます。ドイツとイギリスはまったく違う医学教育、医療体制なんですね。
緒方洪庵は何をした人か?
名前は知っているものの、どのような人かを知らないお医者さんも多いのではないでしょうか。幕末に活躍した医師で、積極的に西洋医学を取り入れ、医学教育に力を入れた人物です。TBSのドラマ「jin-仁ー」で武田鉄矢さんが演じていた役が思い出されます。
緒方洪庵が始めた適々斎塾(緒方洪庵の号を適々斎と呼ぶ)の適々という言葉は「自分の心に適するものを適としてたのしむ」という意味だそうで、この塾生だった一人が福沢諭吉で後の「学問のすすめ」につながっていることを考えると、医学教育の原点は適々斎塾にあると言っても過言ではないのでは、と思えます。
なぜ、今の時代にまで紀元前400年前の医師の意志が引き継がれるか?
ヒポクラテスの誓いがな2400年以上も引き継がれてきたのか。過去の偉人を辿ってみても、その教えは忠実に引き継がれている。その理由がこの本の筋を通していた。
ヒポクラテスの教え
・医療とは症状を詳細に観察し、記録すること。
・存在するのは「病気」ではなく、「症状」を有する「病人」である
・生活環境を清潔にすること。
この教えを忠実に実践したのが、ナイチンゲールです。
この時代においてもまったく同じことが言えるのではないでしょうか。医療が進歩しても病人を丁寧に観察し診断に至ることは変わっていません。また、進歩して選択肢が増えたがゆえに治療が原因で病気になることもあります。
この時代だからこそ基本的医療のあり方に立ち返る必要があるのではないでしょうか?